■森の国のあゆみ
1978年に創業した森の国の歴史とミッション(使命)について
 
1978年
(昭和53年)
7月。ボーイスカウト日本連盟鳥取県西部地区協議会推薦、大山町後援のもと、日本フィールドアスレチック協会公認295号としてオープン。膨大なアスレチックポイントの制作は多くの地元の大工さんや村人に作業協力してもらい、なんとか実現できた。


私たちの願い

「近頃、自然の中で遊ぶ機会が大変少なくなりました。子供たちは市販されたおもちゃに埋もれ、わたしたちがかつて遊んだ山や川や砂浜さえも年々けずられ、汚れていきます。
緑の森で思いっきり木登りをしたり走ったりしてさわやかな汗をかき、澄んだ大気の中でのびのび呼吸をしてみたいと思うのは子供たちだけでしょうか?

フィールドアスレチックは緑の野原と樹木の中で自然と人間とのふれあいを学ぶ新しいスポーツです。私たちはフィールドアスレチックを通し、楽しみながら体力づくり、遊びの中の学習ばかりでなく森林の無限の重要性を再確認し、またそこに生きる動植物の生態も同時に学んでいただきたいのです。
ほんらい、森林は人間の文化生活と深く結びついています。パルプ、木材の供給はもとより、水源かん養、土壌浸食の防止、そして酸素の供給から憩いの場として、人間生活を支えてきたのです。

多くの人々の好意と協力によって、有限会社森の国「大山フィールドアスレチック」は誕生いたしました。これを第一歩とし、私たちはこの「森の国」を子供たちの国に、平和の国に、そして未来につながる国として育てていきたいと願っています。」


            創業時施設概要

 ・フィールドアスレチック・・・6万m2
   大山コース25ポイント 昆虫コース20ポイント
 ・芝生広場・・・1万3,000m2
 ・クラブハウス(食堂・売店・更衣室・貸ロッカー完備)
 ・鉄板焼コーナー(120人収容)
 ・駐車場・・・500台
 ・自動販売機コーナー


創業者 伊澤 卓司
 
アスレチック”ブーム”の幕開け
入場者はゼッケンを着用して
プレイするスタイルだった。
大人気となったアリジゴク。
設計段階では大人気になるとは
誰も予想していなかった

どの遊具も初めての体験。
みんな繰り返し遊んだ。
汗まみれになって、泥んこになって、
すり傷が出来て泣くことも。
でも最後は満点の笑顔。

家族で囲むバーベキューは
今も昔も変わらず最高!
初めてのパンフレット
コンセプトは30年たっても
色あせてない。


1983年

野外バーベキューコーナーを改築し、240名収容できるバーベキューハウスを設置。現在はイベントホールという名称で、バーベキュー以外にも体験会場など幅広い活用を行っている。

設計段階の設計士からのイラスト
待望のバーベキューハウスに
夢が広がった
たくさんの方が風雨を気にすることなく
楽しめるようになった。


1985年

アスレチックの森に比べ芝生広場を大幅に拡大し、ソリ遊びやコロコロゴルフなど貸遊具を開設。

立派な赤松林を背景に
緑がまぶしい芝生広場。
オリジナル遊具の「スイカ」。
スタッフのアイデアで
生まれた遊具がほとんど。

「虫食いハウス」は
色褪せるたびにペイントし、
何度も板を張り替えてきた。
子どもたちは汗まみれになって
一日中園内を駆け回った

「芝そりをさせたい」という夢を
やっと実現したグリーンスライダー。
自分たちで試行錯誤の末設置
コロコロゴルフは天然芝の
手入れが大変だった。
試行錯誤の末、人工芝にすることに。


1987年

森の国農園開園。地元の農家さんの指導や協力を仰ぎながら、種まきから収穫までの農業体験や貸農園を開始。

里山の恵みと地域が育んできた知恵を
未来に伝えていきたい
育てるのは大変だったが
中でもトウモロコシ収穫が人気だった。
その場で生で食べられるほど!


1988年

「いこいの森キャンプ場」開設。
ハンドクラフトなどの体験工房やバーベキューコーナーを兼ねる「センターハウス(現キャンプステーション)」稼動。

設計段階のイラスト。
念願のキャンプ場に心が躍った。
中国四国エリアでは
キャンプ場のさきがけとしてオープン

当時のモデルは「三角テント」
今と違い生地は厚く重かった。
初めてのキャンプに子ども達は大興奮!
ファイヤーの炎は大きく闇夜を照らし、
肩を組み歌を歌う子ども達の
一生の思い出となった

広場やキャンプ場を望むセンターハウス。
そよ風と野鳥のさえずりが気持ち良い。
「出来たよ!」
ハンドクラフト体験


1990年

スキーバブルが到来。九州・山陽・四国などから大山スキー場に向かう連日百台以上の大型バスが深夜から到着。森の国ではアスレチックは休園し、かわりに朝食、スキーレンタル、夕食、おみやげ販売と大忙しの冬となった。約10年間続いた。

リフト待ちは1時間ともいわれた。
滑走する場所がないほどの人だかり。
それでも冬の一番の楽しみだった。
クラブハウスにはスキーレンタル
コーナーが仮設設置された。
グリーンシーズンとは全く異なる様相


1997年

地元商工会や旅館組合と連携し、夏・冬のキッズ自然合宿「座禅の会」プロジェクト発足。「心の宿題を大山で」をコンセプトに、2泊3日での登山、スキー、座禅、カヌーなどの取り組みをスタート。

大山登山は子どもにとっては大きな挑戦。
やりきると、山の素晴らしさと
「やればできる自分」が待っていた。
早朝の座禅など、普段は体験できない
ことばかりの3日間。週毎に内容が
異なるため、リピーターも多かった。


1998年

雪山散歩ツアー「スノーシュー」開始。当時は欧米のみのアクティビティで日本ではほとんど認知されていなかった。大山ではもちろん初めて。20年以上経て利用者は年々広がり、冬の大山の楽しみ方として認知されている。

大山での山歩きが好きなスタッフが
趣味で楽しんでいたことがきっかけだった。
「愛犬と行くスノーシュー」は
日本で初めてツアー化。雪原をノーリードで
ダッシュする瞬間は愛犬家にはたまらない。


2004年

西日本最大のドッグラン開設。当時は東京の密集地にできたばかりで、散歩するスペースがたくさんある地方でドッグラン事業が成り立つのか懐疑的だった。開演後は徐々に愛犬家の皆さまが来てくださるようになった。

パトロール犬「ハイジ」(2003−2013)
約10年間お客様に可愛がられた。
冬は雪が積もるのも魅力。
人だけでなくワンちゃんたちに
とっても楽園


2006年

この頃より体験プログラムを拡充。大山の特産である大山牛乳を味わうバウムクーヘン作り、夏の大山の森深くブナ林で「シャワークライミング」など四季折々のアクティビティを開発。それもスタッフの幼少時代の自然体験が土台となっている。

夏の大冒険「シャワークライミング」
ダッチオーブンで
ローストチキンと棒巻きパン作り


2012年

1日こどもスキー教室開始。大山の冬の魅力を一人でも多くの子ども達に伝えていきたい。そして自然体験を通じ「がんばればできる自分」にであってほしい。

滑れなくて涙と鼻水が止まらなかったけど
午後になり滑れるようになると一気に笑顔に。
すべっても、転んでも、雪遊びは楽しい。
冬ならではの自然体験は
今も昔も他には代えがたい魅力。


2013年

エコツーリズム国際大会が鳥取県で開催。エコツアー「ダウンヒルサイクリング」「ブナの森ガイドウォーク」の2つが認定プログラムとして紹介された。

ダウンヒルツアーは、スキー場から海まで
大山町内の魅力をまるごと体験できる
内容。日本でも珍しいツアー。
心身のリフレッシュだけでなく、ブナの森が
果たしている役割や、日本有数のブナ林が
残っている歴史的背景など、知的好奇心も。


2021年

地域に根づいた持続可能な取り組みや仕組みづくりが評価され、「環境省ローカルSDGs」「とっとりSDGs」に認定

社会は時代とともに変化するが、
自然体験の魅力は変わらない。
持続可能な地域社会のために
身近な自然の魅力と価値を発掘し続け
これからも子どもたちにその場を提供していく。


現在に至る

私たちのミッション

ここ鳥取県大山には今も昔も変わらぬ四季の多様な自然が残されています。
春は、小さな野草たちは大忙し。樹木が若葉を繁らせて日光を独り占めにするまでに、急いで子孫を残そうと足元で咲き乱れます。夏は野鳥や昆虫たちが誰に教わるともなく生存本能の叡智をまとって命を紡ぎ、一番の成長期を謳歌します。秋には、木々は落葉し、動物は栄養を蓄え、やがて訪れる厳しい寒さに備えます。そして、冬。厚い雪に覆われた森で、生き物は冬越しの眠りにつきます。

ここには人生の素晴らしさや厳しさを感じさせてくれる環境が整っています。ときにはあっという間に人の命さえも奪ってしまう大山の自然を前にすると、自然の中の一部であるに過ぎない自分という人間のちっぽけさをつくづく感じさせられます。だからこそ今を精一杯生きようと、落ち込んだ時も前を向けるきっかけがあります。

森の国は、汗と笑顔と涙を受け止めてくれる大山の自然に出会い、自然の叡智に感嘆し、自分の未来を見つめ直す、そんな自然と人の心の交流拠点であり続けます。
代表取締役社長 伊澤大介