中田浩二選手・小原工選手オリンピック出場万歳! 8月27日、シドニーオリンピックサッカー日本代表が発表され、小中学校時代を米子で過ごした中田浩二選手(鹿島アントラーズ所属)のオリンピック出場が決定しました。米子のサッカー関係者として、非常に嬉しいことであり、また誇らしいとも感じています。 中田選手と私は個人的な面識は全くありませんが、伝え聞くところによると今時珍しい誠実な若者だそうです。(ルックスも二重丸!!)そんな彼がオリンピックに出場する訳ですが、なぜ彼が日本を代表するサッカー選手となり得たのか少し考えてみます。 ここにおもしろい事実があります。中田選手と同じく、トライアスロン競技で米子出身の小原工選手がシドニーオリンピックに出場します。小原選手は日本トライアスロン界のまさしく第一人者であり、「アジアの鉄人」の異名を誇る選手です。この二人は同じ後藤ヶ丘中学校出身であり、ともに幼少時に米子に引っ越してきています。また前回のアトランタオリンピック女子サッカー日本代表の大部由美選手(境港第三中学出身で現在も日本女子サッカーリーグ通称Lリーグで活躍中)も幼少時に境港に引っ越してこられたそうです。「オリンピックに出場するには引っ越しが鍵になる」ということが言いたいのではありません。彼ら彼女らのお父さんお母さんはもともと米子地域の人ではないということです。米子地域の人ではないというのは、米子の一般常識人ではないということです。 中田浩二選手は中学卒業後東京のサッカー名門校帝京高校に進学しました。大部由美選手も中学卒業後、千葉の高校に通いながら実業団チームでのプレーを開始しました。小原選手は地元のスポーツ指導員からプロのトライアスリートに転身しました。誤解を恐れずに言わせてもらうと、彼ら彼女らは米子地域の常識に当てはまらない人々です。ともすれば「なにをそんな大それたことを」と言われそうなことに真剣にトライした人々です。そんな真剣なトライを認めて上げて、温かく見守ってくれた家族を持つ人たちです。またそのトライをサポートしてくれる応援団を持つ人々です。そんな彼ら彼女らが挑戦したひとつの結果がオリンピック出場なのではないでしょうか。 ひるがえって地元の子どもたちを考えてみます。この原稿は2000年8月29日に書いています。掲載が9月5日だそうですから、その時には終わってしまっていますが、9月3日(日)にサッカー天皇杯鳥取県予選決勝があります。対戦カードは去年と同じくSC鳥取VS境高校です。私はSC鳥取の一員として出場します。また境高の3年生は私がコーチとして関わりを持った選手たちです。その選手たちに言いたいことがあります。決勝の日は君たちが真剣にサッカーにトライしている姿を見せて下さい。「具体的にこういうプレーを」というのではありません。「おれは好きなサッカーに打ち込んでいるんだ」という気持ちで試合に臨んで下さい。中田選手や大部選手、小原選手がそうであったであろうように、「自分はこうなりたいんだ、こうしたいんだ」という欲望を見せて下さい。欲望や野心という言葉は、無欲とか謙虚という言葉に対して否定的に捉えられがちですが、何かを成し遂げようとするとき必要となるものです。君たちは気づいていないかもしれませんが、好きなことがありそのことに打ち込める環境があるというのはかけがえのないことであり幸せなことです。君たちは手を伸ばせば何かが掴めるかもしれない状況にあるのです。手を伸ばして下さい。欲望を見せて下さい。 中田選手のことを誇りに思うと書きましたが、ただ上手で有名な選手が米子から出たからそう思うのではありません。けっして恵まれているとはいえないスポーツ環境の中で欲を持ち続け得た選手がいて、その選手の真剣なトライを認めてあげ、応援した人々がこの地域に生活している、そういうことを誇りに思うのです。 オリンピックが始まります。全世界から真剣なトライを積み重ねてきた人々が集まります。そのなかで中田選手が小原選手が世界中の選手たちとしのぎを削ります。 がんばれ 郷土の誇り 中田浩二選手! 小原工選手!
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