推論 こどもとおにごっこ 仕事柄、こどもたちの鬼ごっこあそびをじっくりと観察する機会が多くあります。こどもは男女を問わず、鬼ごっこが大好きです。5歳から10歳位にかけてのこどもたちは、鬼ごっこができる環境(人数、場所、道具など)が整えば、それこそこれ以上の楽しみはないといった感じで走り回り歓声をあげます。体力的に未熟で、いつも鬼ばかりになってしまうようなこどもでも、それはそれで楽しそうに相手を追いかけます。大人の私から見れば「よくもまあそんなことに夢中になれるな」と半ば呆れてしまうのですが、自分の子供の頃を思い出してみると、確かに「けいどろ」や「ろくむし」をして暗くなるまで公園であそんでいたように思います。 鬼ごっこは気軽に楽しめるあそびですが、細かくその内容を分析してみると、実に複雑で、巧くやるにはさまざまな要因が必要とされるゲームであることに気づかされます。例えば「けいどろ」の警官役になったとしましょう。警官は泥棒を捕まえに行くべきか牢屋を警戒すべきか、的確に判断をしなければなりません。判断をするには、判断材料が必要となります。よって警官はまず「キョロキョロ」しなければなりません。「けいどろ」は敵味方入り交じっての予測のし難いゲームです。この「キョロキョロ」が肝心です。次に泥棒を追いかけて捕まえる、と決断したとします。決断を実行する際には、技術が必要となります。泥棒を追いかける際のステップワークなどの身体的技術、味方と意思の疎通を図って相手を挟み撃ちにするときなどに必要とされるコミュニケーション技術(声・身振り・目配せなど)などです。以上のことが個人ではなく集団としてミス無く実行できなければ泥棒を全員逮捕することはできません。 このような種類のあそびのことを、スポーツの世界の言葉で「オープンスキル」種目と分類します。「状況が様々に変化するなかで技術を発揮していく」種目、例えばサッカーやバスケットなどが代表的なものです。ちなみにこれの反対が「クローズドスキル」種目で、「状況があまり変化しないなかで技術を発揮していく」種目、弓道やビリヤードなどです。 こどもたちは「オープンスキル」的なものが大好きです。それは動物の赤ちゃんがじゃれ合いながらいろいろなことを覚えていくように、本能に支配された行動のように感じます。情報収集→状況判断→決断→実行(技術の発揮)というプロセスは、そのまま大人の人間社会にも通用するものです。「状況が変化しない」社会など考えられません。 私がこどもの頃暗くなるまであそんでいた公園で、今のこどもたちが鬼ごっこをしている姿を、最近見かけたことがありません。どうもこどもたちは電脳鬼ごっこ―ファミコンに夢中のようです。ファミコン(特にロールプレイングのもの)は脳に対する刺激としては「けいどろ」と同じ「オープンスキル」的なものだと思います。敵味方入り交じっての危険な冒険を楽しめるのですから、こどもが夢中になるのも無理もないことです。ただ決定的にこの両者に違いがあるのは、技術の発揮の仕方においてです。「けいどろ」は技術の発揮を自らの身体を用いて行いますが、ファミコンではボタンで行います。この違いから何が現象として起こってきていると思われますか。今のこどもたちは我々の世代より明らかにキャッチボールが下手です。どのように下手かというと、相手が横を向いているのに(目が合っていないのに)ボールを投げてしまうのです。またボールを使った鬼ごっこなどで、ボールを要求する際、相手が向こうを向いているのに、手を挙げて意思表示をしたりします。相手は気づくはずもありません。要はコミュニケーション下手です。自分の意思、感情はあるのですが、それを相手に伝える術を知らないようです。 私がこどもの頃はそうしたコミュニケーション技術を身につける環境が地域にありました。こうした技術は誰かに教えてもらうものではなく、知らず知らずに覚えるものだと思います。残念ながら現在のこどもたちには以前のような環境は用意されていないようです。 昔は良かったなあ、と懐かしむのは簡単ですが、こどもが地域で気兼ねなくあそべる環境を整えるのは大人の責務です。「時代が変わったから」で片づけられる問題ではないように思います。
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